開発経済学とその他応用分野を学ぶ院生

人間万事塞翁が馬を大切にしている応用経済学徒. 2020年4月から開発・計量・プログラミング関連の記事を書きます.

順調な人生と「欲望と必要」という存在

最近こんなことしているよ

気が付けば貴重な貴重な夏休みの半分が終わってしまっているではないか。半年ちょい前からいつ修理に出すか迷っていたMacBookが、先日、問題だった箇所とは違うストレージの問題が起こりQGIS上の計算が回らなくなってしまった。リンゴ社からは既にMacBookの生産はされておらず、MacBook Proへの乗り換えのタイミングを伺っていたので思い切って購入してやった。カスタマイズでメモリを16GBに上げたので値段も+2万ジャポニペリカ払った。あと数日で届く。あとは手元のクソMacBookAppleCareを使って修理に出してから売る。iPad Proも売る。7〜8割はcompensateしたい。クソ金ない。
 
 
最近、人生は驚くほど順調だ。順調に超絶ハードモードで壁が多すぎてヘコたれている。よく聞く話だが、人生の7割8割は辛いらしい。ならツラミが深いことがあると順調なんじゃねえか。と思い始めてきたのである。もしかすると俺は何か悟ったのかもしれない。因みに、ソフトバンクの柳田選手は記者に「悟りましたね。」と言われて「なんスカ悟りましたって?」と返していた。そいうい悟りもあるらしい。
 
 
冒頭で書いたように、MacBookがイかれているためこの1週間研究を放置プレイして楽しんでいる。訳わからない、どうせ点数も上がらんのだろうと早くも捨てモードになりながらも某ぼったくり英語試験に貢いでいる。人生とは惨めだ。惨めすぎてインテリぶりたくなったので、本棚にある本を何冊か読み返した。自分は新しい本を読むのも好きだが、同じくらい本を読み返すのも好きだ。音楽と映画はなかなか新しい作品には手を出しにくい。同じものばかり見ている。コナンとスターウォーズは幼少期から全て見ている。特に『世紀末の魔術師』は神作すぎてエンディングの時点で毎回号泣はしないが全俺が感動の渦に巻き込まれている。以下、半年ちょいぶりに読み返した本について語る。
 
 

毎回のごとく遅めに本題に入るよ

本題に入ろう。今日は「欲望と必要」という存在というものについて語りたい。  
 
「欲望(ウォント)と必要(ニーズ)」というのはフィールズ賞受賞者である数学者・広中平祐著『学問の発見 数学者が語る「考えること・学ぶこと」』から拾ってきた。この本は元々30年以上前に刊行された本で(こちらがオリジナルの本)昨年2018年7月ににブルーバックスから再出版された。
 
広中先生は本書の一部で、人生においてこの「欲望(ウォント)と必要(ニーズ)」の重要性を述べられており、非常に共感したので以下いくつか引用・抜粋しながら感想を述べたい。
 
『「必要」は、英語で主に2通りの表現の仕方がある。ニーズとウォントである。(略)「ニーズ」という言葉は、空間的に言えば、外部の状況を判断して割り出した必要性であり、時間的に見ると、過去から現在にかけて人間が経験したこと、得たものを基準にして割り出した必要性という意味に使われる。これに対して「ウォント」は、自分の内部から出てくる必要性であり、現在と未来に時間軸をとった上での必要性を意味している。(PP161-162)』
 
なるほど。例として、企業の広告などで散見する「お客様のニーズをよく捉えて・・・」などという表現は微妙で、そんなことをしていたらその企業は立ち遅れてしまうという。「お客様のウォントを見抜いて・・・」が正しいのではないか、と言われている。確かに頷いてしまう。
 
自分が強く共感したのは、我々が進路選択など将来の意思決定においてもこの考えを当てはめるべきであるという点だ。
 
『自分の将来を決めていくという時に、いろいろな情報がある。例えば、自分の偏差値がこの程度だからあの大学のこういう学部に行こうとか、こういう職種が有望だからこの企業に就職しようという具合に、いろいろな情報からニーズを割り出して進路を決める人が非常に多い。しかし、そういう決め方をした人は何らかの方法でニーズから割り出したものが、ウォントに切り替わらないかぎり、どこかで挫折するのではないかと思う。「自分はこの学問がしたいんだ」「私はこの仕事につきたいんだ」というウォントを思った意志力がなければならないのである。(PP162-163)』
 
自分も進路にいろいろと迷い、一度留学ではなく就職をするべきだと考えて計2ヶ月ほど就職活動をかじったのだが、それを辞める決め手となったのはこの考えが根底にあった気がする。自分の性格的に好きでないものはとことん出来ないし、この貴重な20代をとりあえず安定しそうだから就職するといった判断で浪費してしまうのが怖くなったのだ。三毒の煩悩の1つである貪欲に駆りたてられているのか、俺はマジョリティとは違う生き方をしたい、することによって人生を楽しめているのである。「成功=高い山に登りきる」といわれるように、人とは違う景色を見ることに満たされる気分になれるのだろう。
 
我々が目標に向けて何か行動をしているとき、頻繁に苦しみを味わい、自己効力感や自己肯定感が保てなくなり、仲間がいないと孤独感に苛まれる。1つの原因は、設定している目標が高すぎて、少ない歩数でそこに到達しようとすることだろう。高い目標設定も最短で辿り着こうとすることも、どちらもよい選択だと思う。しかしそういった目標には一本道で辿り着くことが出来ないだろう。ほぼ100%無理だ。たくさんの紆余曲折を経て、成長だけでなく時には後退しかしないような時期も経験していく必要があると思う。そのような過程の中で、『自分自身のウォントだと思っていたものが、実は、社会の風潮とか、流行とか、あるいはマスコミがもたらす情報とか、そういう形から形成されたウォント』であるとどこかで必ず挫折してしまうのではないか。
 
先に述べたように、一気に高い山に到達するとすぐ息切れしてしまうだろう。ほとんどの場合、自己の努力による成長に不連続な飛躍なんて存在しないと考える。そういったことを踏まえると、このウォントを見つけることは改めて重要なのだと思わされた。もう一度、自分のウォントについても考え直したい。そして遠回りをしながらも反例を積み重ねて、知的に放蕩する人生を歩んでいきたい。と私は悟ったのであった。
 
 
 
そして忘れずにアフィリンクも貼っておく。一人暮らしはウ◯コは大学でするのと同じくらい常識だ。